『ぱふ』とマンガ情報誌の青春時代【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」8冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」8冊目
『ふゅーじょんぷろだくと』創刊号には「事の顚末」として経緯が記されていた。冒頭で紹介した「『ぱふ』の50年とコミティアの40年」記念展に合わせて刊行された『ぱふの記憶』という冊子にも関係者の証言がある。が、立場によって見えていた風景は違うだろうし、真相はわからない。ただ、イチ読者の高校生としては、マンガ情報誌が2冊に増えたのは単純にうれしかった(金銭的な負担増は別にして)。
『ふゅーじょんぶろだくと』創刊号は、352ページの大ボリューム。「1980年度決算号」として(おそらく『ぱふ』に載るはずだった)ベストテンを発表するほか、なんと48人もの漫画家の小インタビューを掲載している。あだち充、高橋留美子、新谷かおる、はるき悦巳らメジャーどころから、さべあのま、高野文子、ひさうちみちお、宮谷一彦などのマニア系まで多士済々。漫画家時代の山田双葉(のちの小説家・山田詠美)も登場している。
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同誌は1982年4月号にて一時休刊。編集長の可部達郎(才谷遼)氏が新たに立ち上げた株式会社ふゅーじょんぷろだくとを発行元として『COMIC BOX』を創刊する。基本的には誌名やデザインが変わっただけで、内容的には継続していた。ただ、徐々にアニメ系の特集が増えていった印象があり、さらには原発特集など社会問題も扱った。
一方、復活した『ぱふ』は、休刊前と変わらず漫画家特集や年度版ベストテン企画を展開しており、好きな作家の特集号は買っていた。森脇真末味、さべあのま、高橋葉介、細野不二彦、江口寿史、弓月光、ふくやまけいこ、星野之宣、とり・みき……と名前を挙げればキリがない。
『ぱふ』と『ふゅーじょんぷろだくと/COMIC BOX』が互いをライバル視していたかどうかはわからない。が、まったく意識していなかったということはないだろう。切磋琢磨という言葉は当てはまらないかもしれないが、この時期の両誌からは闇雲な熱気とパワーが感じられた。前出『ぱふの記憶』の寄稿を見ても、当時の編集スタッフは大学生も含んで若く、今なら完全にブラック判定の労働環境をものともせず、それこそ“毎日が文化祭前夜”的なノリで作られていた様子がうかがわれる。
しかし、私が両誌を熱心に購読していたのは1985年ぐらいまでだった。以降は年度版ベストテンの号をチェックするぐらいで、手にする機会は減った。大きな理由は、特集される作家の傾向が自分の好みとはズレてきたこと。特に『ぱふ』は、読者層も様変わりして、今でいう“腐女子”がメインになっていったように思う。雑誌的にはむしろそれで部数が伸びたかもしれないが、個人的にはついていけなかった。
もうひとつの理由として、そのぐらいのタイミングで雑誌の判型が変わったというのもある。従来のA5判から、AB判やA4判という大きなサイズになった。もちろん、そのサイズが似合う雑誌もあると思うが、自分が求めるマンガ情報誌のイメージとはちょっと違う。あと、本棚で場所を取るという問題も無視できない。
そうこうしているうちに『COMIC BOX』は2000年に休刊。『ぱふ』も2011年に休刊した。90年代に『マンガテクニック』(美術出版社)、『コミッカーズ』(美術出版社)というマンガを描きたい人のための情報誌や、『プータオ』(白泉社)、『Comnavi』(全研本社)、『コミックGON!』(ミリオン出版)などユニークな切り口のマンガ情報誌が創刊されたが、いずれも休刊。現在刊行されているマンガ情報誌は『季刊エス』(パイインターナショナル)ぐらいだろうか。それもどちらかというとテクニック寄りで、マンガ読者のための情報誌は(私の知る限り)見当たらない。
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マンガが一大産業となり、量的に膨大(コミックス出版点数は『ぱふ』創刊当時の10倍以上)で内容的には細分化している今、かつての『ぱふ』のような情報誌を成立させるのは難しいだろう。同人誌紹介や読者投稿コーナー、「フリー・スペース」も、今はネットがその役割を担う。70年代末から80年代前半は、マンガ文化が子供から若者(青年層)のものへと新たな表現領域を切り拓いていった“マンガの青春時代”であり、その時代ならではのメディアだったとも言える。
『ぱふの記憶』には関係者64人のコメントが収録されている。元編集スタッフを中心に連載寄稿者、表紙イラスト執筆者などいろいろで、中村公彦氏を筆頭に個人的に面識ある人も少なくない。『1976年のアントニオ猪木』などで知られるノンフィクションライターの柳澤健氏が元『ぱふ』スタッフだったことは、この本で初めて知った。『ぱふ』の命名理由も初耳だったし、どなたの寄稿も興味深く読んだ。
惜しむらくは、ラインナップに私の名前がないこと。まあ、単なるイチ読者に声がかかるはずもないのだが、ちょっと悔しかったので、その無念を本稿で昇華した。同時代を過ごしたマンガマニアとしては、語らずにいられない雑誌である。
文:新保信長